※映画としてのネタバレは出来るだけ避けますが、登場人物のパーソナリティに言及しているため、どの様なストーリーなのかは想像出来てしまう可能性があります。
公開されたタイミングで、わたくしの周りの映画通の間で頻繁に話題になっていた本作。
観たい観たくないではなく、観るべきなのか疑問に思って静観していた。
しかし、やはり知っておきたいという気持ちが勝ったため、ついに観る事に。
知っておきたいというのは、この映画の内容という意味ではなく、
わたくしが常日ごろ仕事で勉強している事、
実際に知識として使っている内容が本当に合っているかという意味だ。
本作は実話に基づいて製作されているが、
観た人が『これが実話だなんてエグい。』と言っていた。
だが、実際の事件はもっとエグいので、
この映画はこれでも恐らくマイルドに描いている。
それと、レビューを書く時に、
最初は2部構成にしようと考えていた。
だがしかし、あまりにも書きたい内容が特殊なものになってしまったため、
今回は普通のレビューではなく、
心理カウンセラーとしてこの映画のレビューを書いてみようと思う。
とても大切な事なので先に言っておくが、
殺人を正当化するつもりは微塵も無い。
その点は勘違いしないで読んで欲しい。
Contents
MOTHERマザーの基本情報
邦題 | MOTHERマザー |
公開/製作国 | 2020年7月3日/日本 |
上映時間/映画区分 | 126分/PG12 |
監督 | 大森立嗣 |
脚本 | 大森立嗣 港岳彦 |
出演者 | 長澤まさみ 奥平太兼 夏帆 皆川猿時 仲野太賀 土村芳 阿部サダヲ |
MOTHERマザーのあらすじ
男にだらしなく自堕落な生活を送るシングルマザーの秋子(長澤まさみ)は、息子の周平に異常に執着する。秋子以外に頼れる存在がいない周平は、母親に翻弄(ほんろう)されながらもその要求に応えようともがくが、身内からも絶縁された母子は社会から孤立していく。やがて、17歳に成長した周平(奥平大兼)は凄惨(せいさん)な事件を引き起こしてしまう。
引用…シネマトゥデイ
MOTHERマザーの心理カウンセラーとしての感想
とにかく登場人物全員の演技が良かった。
長澤まさみがあんなに心身共に汚く見えるなんて、
未だに目が信じられない。
私は異性愛者で女なので長澤まさみは恋愛のターゲットではないが、
私が男だったらあの長澤まさみは見た目的な意味でも抱きたくない。
そういう意味で拍手喝采である。
さて、人格やコミュニケーションの基盤となるものの形成は、
先天的な要因と、後天的な要因が絡み合って出来上がる。
今回事件を起こしてしまうのは周平(息子)だが、
少なくとも映画の中で彼は勉強する意欲もあり、
少しぎこちなくとも他人とのコミュニケーションも問題なく取れている。
妹への接し方も家族として愛情を持って接しているし、
先天的に大きな何かを抱えている可能性は低いと感じた。
そうなると、後天的な要因にフォーカスを当てる必要があると思うのだが、
この事を書くにはまず『MOTHER』である秋子(長澤まさみ)の事を
考える必要がある。
タイトル、俳優、事件の内容、秋子の“キャラ”からして、
どうしたって秋子の言動全てに注目が集まってしまうが、
わたくしからすると秋子はモンスターだが、
モンスターになりたくてなったわけではないのだ。
と、いうよりも、自分がモンスターだとも恐らく気づいていない。
実際に、映画では描かれていないが、母親は息子の実刑が決定した後に
『ただ殺人犯の母親というだけなのに、どうして私が責められるのか分からない。』という趣旨の発言をしている。
多くの人は『責任を逃れるために何言ってるんだ。』『本当にクズ。』
『息子が可哀そう。』などと感じる事だろう。
だが、恐らく“本当に分からない”のだと思う。
これがどうして起きるかというと、
彼女はかなり酷い劣等感の中で育ってきたのだと仮定できる。
映画の中ででもそれを匂わせるシーンがいくつかあるのだが、
それに加えて描かれていない乳幼児期にも問題が起きていると思われる。
人間には必ず“愛着”というものがあるが、
愛着(あいちゃく、あいじゃく)は慣れ親しんだ物事に深く心を引かれ、離れがたく感じる事を言う。
引用…フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この愛着というものが形成されるのは0歳~1.5歳までの間なので、
ここでまず人間は他者との接点の基盤を形成する。
この愛着というものが、大人になると大きく4つに分かれる。
安定型愛着、不安型愛着、回避型愛着、恐れ・回避型愛着の4つだ。
前1つと後ろ3つで“安定型愛着”と“不安定型愛着”というものに分けられ、
実に全人間の50%は安定型愛着だと言われている。
しかし(つまり)残りの50%は不安定型愛着なので、
不安定型愛着であるが故に悩んでしまう人も50%もいるということ。
そして秋子は間違いなく不安型愛着である。
これは、愛着対象である息子の周平に異様なまでに執着し、支配し、
周平が反対しようと、離れようとするたびに怒り、試し、
従わせる事から推測出来る。
不安型愛着の秋子は乳幼児期に
『母親の気まぐれによる子育て』
『ある一定時期まできちんと子育てしていたものの途中からそれがおろそかになる』
のいずれかの育てられ方をしていた可能性がある。
乳幼児期の母親の応答性が愛着の形成に関係するのは、
単にその“経験”で決定されるのではなく、
オキシトシンやアルギニン、バソプレシンなのホルモンが関係している。
※ここで言う子育ては、赤ちゃんが泣くなどして要望を訴えた時にすぐ応えているかを指す
そして愛着形成以降、
物心がついてからも秋子の人格を歪ませるには十分な出来事があったのだろう。
それはまさしく、母親の愛 の欠落である。
映画の中で秋子の母親は、充分過ぎる程秋子を否定している。
怒鳴り、拒絶している。
もちろん、秋子が散々な事をしてきたから結果的にそうなった、
とも考えられるが、後からだけとは思いにくい。
妹と比較し、否定する、拒否/拒絶するという日々が幼少期から続いていたのではないだろうか?
さらに、否定され拒否され続けて“やさぐれて”しまった
幼い秋子に対して厳しく口うるさく指導していた可能性すら考えられる。
もしこの推測が正しければ、秋子みたいな人間が出来上がる可能性は大変高まる。
つまり、不安定な愛着の上に
反社会性パーソナリティや境界性パーソナリティーなどが
上乗せされていったのではないか?と推測する。
(障害、とまで言えると思うけど言い切っちゃダメなので…)
これらは全て
愛
の為、自己肯定感を高める為に秋子が知らぬ間に身につけた“性質”なのだと思う。
全ては
生まれたまま、そのままの自分を受け入れてくれる無償の愛
これが欲しかっただけなのである。
そして秋子はその無償の愛を、
息子に求める様になる。
何をしても、何を言っても、どんな事があっても、
絶対に離れて行かない愛する息子。
いや、愛する息子ではない、愛してくれる息子。
秋子は無償の愛をくれる人間を自ら産み落としたのである。
と、この様な経緯から、秋子は“どうして責められるのか分からない”のだと推測する。
長澤まさみが『秋子に全く共感出来なかった。』と発言しているが、
それは至極まっとうな感想なのだ。
そしてまた、母親からの無償の愛を求めている周平。
言われた事を聞き続ければいつか無償の愛が得られると、
そう思っているのではないだろうか。
一般的にこの様な環境で育った人は、
他の女性に母親レベルの無償の愛を求め、
恋愛依存症の様なタイプになるか、
複数恋愛がデフォルトの様な女性を苦しめるタイプの男になりやすい。
しかし映画の中程母親の支配下にいた場合はそれも無理だろう。
だから、周平の最後のセリフがあれになるのだと思う。
まさしく、愛を求め合う共依存である。
実は秋子は、そんな自分のモンスターな状態から逃れられるタイミングが何回もあったと映画を観ていて思った。
あくまでも現実社会の母親ではなく映画版の母親だが、
元夫や途中で出てくる(阿部サダヲと仲野太賀以外の)男性とは、
続けることさえ出来ればモンスターが治まった可能性があるのだ。
だがしかし、自分がモンスターである事も、
それをどうにかしたら修正出来る事も知らない秋子は
良い決断ではない事をしてしまう。
少し家族の話しからはズレるが、
ラストで亜矢(夏帆)がある事を秋子にするのだが、
途中で語られる夏帆のバックグラウンドの事を想うと、
あの行動が何を意味するのかも深く考えさせられる。
今日のタイトル“負のルーツはどこだ”は、
結局、歪んだ養育環境で育った歪んだ性質の人間が養育した人間は、
歪んだ性質と不安定な愛着を身につけてしまうため、
どこかで改善しない限り負のループだ、という点から決めている。
つまり、映画の登場人物で言えば、祖父母が負のルーツという事になるのだが、
祖母には祖母で何かあったのではないか?
と考えざるを得ない。
そして実刑中の息子には、
いつか無償の愛を与えてくれる人が現れたら良いのになと思ってしまう。
それが犯罪を防ぐ一番の方法だと個人的には考えているからだ。
MOTHERマザーのBD/DVD販売とネット配信
映画が公開したばかりなので、BDの販売もネット配信もまだです。
劇場公開情報は下記よりご確認ください。
※劇場情報は変わる可能性があります。